中庸といふもの

ブクオフで見つけた一冊から気になった箇所をメモ。
いや、特に個人的には関心のあるトピックでもないんだけど、関心のある方々にとってこの20年前の予想はどうなんだろう、と。
以下、阿川弘之国を思うて何が悪い―一自由主義者の憤慨録 (光文社文庫)』光文社 1987 p131-132(リンク先は1997年の文庫版)より

先ごろ、「日本を守る国民会議」というところが新しく、教科書を編さんして、その内容がいち早く外へ洩れ、韓国や中国から抗議を受けた事がありましたね。こういう抗議をする時でも中国は、必ず、日本の新聞報道によれば云々と言ってます。日本の新聞記者が御注進御注進と言ってきたから止むを得ず意見を述べるが、というニュアンスがうかがえる。

と、ここまでが中国の懐の深さについて述べる前振り。次に論点は日本のマスメディアへ

一番良くないのは、またしても日本の大新聞ですよ。「日本を守る国民会議」は、自分等の編あんだ教科書を全国の学校が採用すべきだなどと言っているわけではないのです。日教組の息のかかった偏向教科書があまりに多いから、こういうものを作ってみた、よかったら使ってくれ、それだけのことでしょ。それを、許すべからざる悪事が行われたかのように、日本の新聞が近隣の国々と、口を揃えて責め立てる。こんなことを繰り返していると、日本人みんなのナショナリスティックな感情に火がついて、それが逆に燃え移って、俗に右翼と言われてる「日本を守る国民会議」が、ほんとの右翼に乗っとられ、本式の右翼勢力になってしまうような事態が起きはしないか。その方に私は警戒心を抱きますがね。(強調箇所は管理人)

著者の「文化人」や「安普請」に対しての舌鋒は鋭い。でも、鋭いだけじゃなくて、どうもその後の経過も予想の通りになってないか、と。そう考えると次の一言は俄然重みが増す

卑下と自虐の果ての反動は恐ろしいのです。中庸を得た常識論が通らなくなるんですから。

本書の副題は「一自由主義者の憤慨録」。本書を執筆(口述?)されてからの阿川先生については、『文芸春秋』で硬質のエッセイぐらいしか知らないけれど、その副題にもれずmoderateな語り口である。
「閑人妄語」か、いい言葉だ。