犯罪被害者と取調べ適正化についてメモ

nekomakura2007-12-16

写真は大学名物(?)のピラミッド校舎。
これまで知らなかったのですが、この校舎はかつて「ウルトラセブン」の舞台になっていたそうです。さらに真偽未確認情報ですが、ジオフロントの真ん中に鎮座していたネルフ本部のモデルにもなったとか、ならなかったとか・・・。
もうすぐ取り壊しになってしまうので、これは記念撮影しておくしかないと一枚。


話は全く変わりますが、最高齢の研究者系ブログとしてARGでも紹介されていた中山研一先生の刑法学ブログから「警察庁の有識者懇談会」というエントリについて、半可通が「モノ申す」ようで畏れ多いのですが、気になった点についてメモを残しておきます。

警察庁の懇談会について

先生は警察庁が設置した「取調べ適正化」についての有識者懇談会(時事通信)について、取り調べの対象となる被疑者・被告人の立場を代弁する者が一人も加わっていないことが、「最初からこの懇談会の性格と限界を示している」と断じておられます。
そこで先生が前提とされているのは、「取り調べの適正化」実現の一番の利益主体は被疑者・被告人である、というお考えのように思われます。たしかに、被疑者・被告人が取り調べに直接に利害を有することは間違いありませんし、取調べ過程が録画されたり記録されることによって、捜査機関による自白の無理強いを防ぎ、被疑者・被告人の権利を守ることになる。だからこそ、適正化実現には被疑者・被告人側の参加が欠かせないのだ、というご意見はしごく真っ当に見えます。


しかしながら、本当に被疑者・被告人サイドの委員がいなければ、取調べ適正化(その具体的な中身として、取調べ過程の全面的な録音・録画等)は達成できないのかどうかについて疑問を持ちました。言い換えるならば、取り調べ適正化を強く望むのは、本当に被疑者・被告人だけなのでしょうか。
少し、不遜な言い方を許していただくとすれば、「被疑者・被告人の利益は被疑者・被告人側のメンバーがいなければ実現できない」という発想の頑なさこそ、これまで取調べの可視化を求めてきた方々の「限界」ではなかったかとも思えるのです。


捜査機関側にとっては、普段からどれだけ適法な取り調べを行っていようとも、事後的な監視・監督に繋がるような取り組みは拒絶したいところでしょう。ですので、捜査機関側にとって取り調べの可視化にそれほど利益が無いことは常識的に理解できます。。しかし、捜査機関でも、被疑者・被告人でもない、もう一つのアクターが刑事司法には存在しています。犯罪被害者です。

犯罪被害者と取調べの適正化

犯罪の被害者が刑事司法に求めるものは様々です。損害の回復であったり、復讐心の充足であったり。
では、犯罪の「捜査」過程に対して犯罪被害者が望むものはなんでしょうか?
近年の多くの刑事手続法関連の改正が実現が、犯罪被害者の「真相を知りたい」という欲求を充足させることであったことは明かです。「忘れられた当事者」であった犯罪被害者に光が当たるようになった結果、単なる厳罰化だけではなく、訴訟手続への参加が進展してきたことは、犯罪被害者にとっても「真相の解明」が重要な利益であることを改めて示唆しています。


だとすれば、事実の解明に証拠という名の材料を提供する捜査過程もまた、適正かつ公正なものであってほしいというのが被害者の想いではないでしょうか。いわんや「違法な証拠収集」や「自白の強要」などとの理由で、有罪になるべき者が無罪放免になってしまう事態は犯罪被害者がもっとも望まないもののはずです。
さらに、被疑者が取り調べに臨む姿勢・態度といった非言語的な情報も利用可能になることは、被害者のみならず、裁判官が適切な判断を下す上でも有益な判断材料になるのではないでしょうか。


つまり、被疑者・被告人にとって違法な取り調べは、犯罪被害者にとっても、「真相の解明」という目的からから脅威になると考えられます。被疑者・被告人の目的と犯罪被害者の最終目的が同一であるとは言いませんが、しかし、一連の司法プロセスの一部分では同じ利益構造を有しているといえるのです。そして、犯罪の被疑者と被害者が取調べの可視化にあたって同じ目的を抱えているとすれば、被害者の側からもそれを求める声が上がってきてもおかしくありません。

まとめ

もちろん、今回の懇親会のメンバーである全国犯罪被害者の会(明日の会)の岡村幹事が、取調べ録画を要求されているのかどうかは分りません。ただ、取り調べの可視化に対して、犯罪被害者が同じようなインセンティブを持つ以上、被疑者・被告人がいないという理由だけで取調べ可視化の進展を憂う理由とはならないものと考えます。
さらに言えば、専ら被疑者・被告人側からの利益追求として語られてきた取り調べの可視化を、犯罪被害者サイドからも提起してゆくことによって、その実現可能性は大いに高まるのではないでしょうか。少なくとも「被疑者や被告人の立場を代弁する側の人」に頑なに拘る必要は無いと思うのです。。


長くなりましたが、これまで「真相の解明」と「権利侵害の防止」といった構図で語られてきた事柄を、「被害者への奉仕」という視座から捉え直せるような気がしています。今回の取調べ可視化の動向についても、興味をもってウォッチしてゆこうと思います。