刑事司法のコスト 

nekomakura2007-09-23

罪を犯し、刑務所に収容された受刑者1人当たりに使われる税金は、いったいいくらになるのか−。2人の男性被告の裁判を東京地裁で傍聴し、ふとそうした疑問がわいてきた。

この産経新聞SankeiWEB版の「【法廷から】刑務所に出戻る男たち 使われる税金は…」という署名記事(西尾美穂子記者・2007/9/13掲載)について、かなり時宜を失してしまいましたが個人的な関心領域でもあるのでコメントを残しておきます。(魚拓はコチラ

記事の要旨

記者によれば刑事司法の国民負担額を以下のように算出しています。

法務省矯正局によると、受刑者1人当たりにかかる刑務所での費用は1日あたり平均約1310円。内訳は食費、服代、医療費など。平成19年度の国家予算は約500億円という。
受刑者は裁判を経た上で刑務所に収容されるので、裁判での国選弁護人への報酬なども発生する。日本司法支援センター(東京都千代田区)によると、地方裁判所における軽犯罪の弁護は1回につき平均約7万円。被告の支払い能力などに応じて裁判所から返金を求められるが、被告に支払い能力がなければ国が負担する。19年度の国家予算は約100億円という。

そして、何度も入獄を繰り返す再犯者を前にして「彼らの再犯防止が、むなしい血税の使用にも歯止めをかける」と結んでいます。過去に大手メディアが司法予算を取り上げた事例は寡聞にしてしりませんが、あまりスポットライトの当たらない事柄を小気味の良くまとめた記事ではないでしょうか。


しかし、気になるところが一点。記事の材料として使用された「数字」です。
特に前半の「受刑者1人当たりにかかる刑務所での費用」というのは、記者自身の問題関心からすると全く正しくない数字を引用しているように思われます。結論からいえば「少なすぎ」ですね。


どこが誤っているか?

記者は冒頭に引用したように「刑務所に収容された受刑者1人当たりに使われる税金」を明らかにしようとしています。
実は、この数値の元になっているデータは公開資料で一般人も読むことができます。といってもそのあたりの図書館にはおいていない資料なのですが、刑務所で働く矯正職員などの機関誌・研究誌である『刑政』という雑誌が毎年5or6月号で各年度の刑務所の予算について数ページの解説論文を載せているんですね。かつては法務省矯正局の参事官が個人名で執筆されていたのですが、近年は○○係という形で記載されています。
その解説論文の後半のほうに、円グラフで「被収容者1人1日あたりの収容費の使途別内訳」が記載されています。記者がこの解説論文を調べたのか、それとも法務省に直接問い合わせたのかは定かではありませんが、今年度の論文に記事で使用されているものとほぼ同じ分析結果が示されています(「平成19年度矯正予算の概要」『刑政』118巻5月号)。


しかし間違いは、そもそもこの数値「だけ」を利用して国民負担を明らかに使用としている点です。
先に挙げた円グラフの資料名を良くよむと「収容費の使途別内訳」となっています。ここがミソです。
実は、刑務所の設置運営費用は「収容費」だけではありません。
法務省が一人あたりの費用をどのように算出したのかは良く分りませんが、元データとして使用したのは予算分類の「(項)矯正収容費」だと推測されます。
一般会計予算参照書』の法務省所管の予算中、行刑施設(少年院等含む)関わる予算は「(組織)矯正官署」に割り振けられていますが、その内実は、さらに(1)受刑者の処遇に直接関わる「(項)矯正収容費」、(2)職員に関係する「(項)矯正官署」、(3)刑務作業に関する「(項)刑務所作業費」の三本柱で構成されています。
そして「(項)矯正収容費」の行刑予算総額に占める割合はわずか2割ほどでしかありません。


つまり記者は、最大の支出項目たる「(項)矯正官署」中の矯正職員の俸給・手当などを算定していないわけです。
もちろん、「受刑者1人当たりに使われる税金」を「受刑者の生活費」のみに限るとすれば、記者の算定は間違っていません。しかし矯正職員の人件費や施設の設置コストは当然租税を元にしていますし、「犯罪者さえいなければ(長期的には)発生しないコスト」です。記者自身、その後で人件費が大部分を占めるであろう弁護費用を算入していることからして、決して受刑者にかかる間接コストを除外しようとは考えていないはずです。
そう考えると、「1日あたり平均約1310円。内訳は食費、服代、医療費など。平成19年度の国家予算は約500億円」という見積もりは、記者の意に反して、かなりの過小評価になってしまっているといえます。これではとても受刑者への社会負担の全体像が明らかになったとはいえないでしょう。

では、本当のところいくらになるのか?

では、(A)人件費なども合算した刑務所の総予算と(B)受刑者1人当たりに使われる税金は、いったい幾らになるのでしょうか?実は、この双方とも、正確な算出は公開資料だけでは困難と言わざるをえません。


まず、(A)も(B)も単純に考えると、各年度の『一般会計予算参照書』から導き出すこともできそうです。平成19年度は

総額2246.5億円(前年:2193.9億円)
矯正官署1657.5(1644.4)
矯正収容費550.8(511.0)
刑務所作業費38.2(38.4)


しかし、これは「刑務所の総予算」ではあっても、「刑務所への国民負担総額」とは言い切れません。
というのは、この「(項)矯正官署」に含まれる矯正職員の俸給・手当は、あくまでも職員に直接支払われるサラリーのみを示しており、共済負担金や退職手当などは法務省全体の会計項目に入ってしまっているからです(「実務講座 予算・会計入門(第3回)」『刑政』109巻10号,p87〜)。
さらにここには刑務所のみならず少年院等の運営費や職員俸給も合計して記載されていることから、刑務所に限定したコストは明らかにしえません。
以上から、単純に《 予算総額 ÷ 受刑者数 》で一人当たりのコストを導き出すことはできないことが理解されるのです(以前、この点を見落としてポカをやらかしました)。


しかし、精緻な算定には技術も情報も足りませんが、おおまかな予算規模を掴むくらいならできなくもありません。
これも『一般会計予算参照書』の、前記の予算三本柱のそれぞれにおける「刑務所一般行政に必要な経費」を足し算し、それを刑務所の被収容者数で割ると、これもかなり過小気味の概算になってしまいますが、受刑者一人当たりの年額コスト近似値が出せるでしょう。
刑務所の被収容者数(未決勾留者含)は資料の制約から平成17年度のもので代用しますが、
矯正官署(1283億円) + 矯正収容費(509) + 刑務所作業費(38) / 受刑者数(77932人) = 234.8万円/年額
さらに、これを365で割っると「刑務所の収容者1人当たりにかかる刑務所での費用は1日あたり平均」で約6430円となりました。以上は、あくまで概算の上での近似値ですので、正確性には欠けますが、一般に言われている数値と大差ないのではないのでしょうか。
もちろん、この額が多いか少ないかは議論のあるところでしょうが、少なくとも記事中の数字を遙かに上回るものに違いありません。

刑事司法コストを探求する意義

さて、記者は記事の最後で再犯防止策の重要性に触れ、「血税の使用にも歯止めをかける」効果があるとしました。この点には異議無しですが、しかし長々と述べてきたように、いったいどれだけの「血税」が犯罪者処遇に注がれているのか、という点は非常に不透明で、公開資料だけでは算定が困難だとしました。これでは、再犯防止策のコスト削減効果を測定することは不可能です。


もちろん法務省は、緻密なコストの算定をしているでしょうが、その数値が一般に広く知られているとは言い難い状況です。そもそも、議論の俎上に上ることさえあまりありません。
記事のなかでも取り上げられていたのは、裁判と行刑に関わるコストだけです。犯罪捜査から起訴までの、警察権・公訴権行使にかかる費用には触れられていません。たしかに、これらの費用をどう算出したらいいかとなると、筆者にもよいアイデアはありません。行刑コスト以上に、算定が困難なのは間違いないでしょうが。
さらに刑事司法予算に関する専門的な研究も、日本語圏に関する限り皆目見あたりません。誰かリソースをご存じなら教えてもらいたいぐらいです。


たしかに20兆円を超えるような社会保障関連費に比べれば、刑務所のコストなどは微々たるものです。しかし犯罪の抑止と個人の財産権の保護は、まさに社会を社会として成立させる根源的な要請に他ならず、それに関するコストが社会の構成員に明示されない現状が、はたして望ましいものなのかどうか疑問と言わざるをえません。
人によって考え方の違いはあるでしょうが、筆者は受刑者にかかるコストを犯罪者が犯罪によって効用を得ることで社会に発生させている外部不経済の規模(の一部)とみなせると考えます。
社会と、その社会をマネジメントする政府が、その外部不経済を縮小させるためどれだけ効率的・効果的な政策を採用し、構成員の根源的欲求にどれだけの満足を与えているか。
その測定と理解を元に、新たな立法政策の道筋を開いてゆくためにも刑事司法コストの研究が必要だと痛感しています。実力がつかないままに、探求したいトピックばかりが増えてゆく毎日です。


ってゆうかブログかいてたら朝になってたYo・・・ 。・゚・(ノД`)・゚・



追記:2007/09/24
一部、語句訂正と追記。リンク設定。
GooやYahooだと同じ記事が別のタイトル「【法廷から】血税浪費? 服役繰り返す被告」になっている。かなり直截的だけど、そちらのほうが読み手には受けそう。