弁護士求刑制?下手すりゃ命取りになるかも

nekomakura2006-05-06

まず、ソースはヤフーの記事より
「弁護側求刑」を検討=厳罰化への歯止め狙う−裁判員制度で日弁連


記事自体が短くて判断のつかないところもあるんだけど、要は有罪がほとんど確定している場合に、裁判員(および裁判官)が検察側からの量刑と比較考量できる材料を出そう、というもの。
でも、その主目的が表題のとおり「厳罰化への歯止め」であるとすれば、それははたして叶えられるんだろうか。いや、たとえ個々の事例で刑を軽減できたとしても、弁護士にとってそんな役目を引き受けることがプラスになるんだろうか。


まだブログ界隈でもほとんど反応があがってないんだけど、落合先生のいう量刑データベースの未整備や杉本先生が指摘する、弁護士求刑の「下限化」と、それによる形骸化は実際におきてもおかしくない。


でも司法手続上の問題だけならまだいい。
一番恐れるべきことは、一般社会からの弁護士への不信・反発がさらに高まることだと思う。


別に弁護士法に規定されてるわけじゃないけど*1、弁護側である以上は被告人の利益に反するような量刑判断はできないはずで、そのために必然的に検察側よりも軽い刑を求刑することになる。
そして、もう言うまでもないことだけど、今の刑事司法が抱える根源的な問題として、裁判官が下す量刑の相場と社会一般の処罰感情の間に深刻なズレが存在している。つまり社会には法曹界と一般市民の二つの量刑相場があって、後者からの前者の量刑は軽すぎる、といった意見が絶えない。
この不満・フラストレーションについての言説はGoogle先生に聞けばいくらでもでてくる。酒場で顔を赤らめたオジさんが「人一人殺してなんで死刑になんないんだ!」とくだを巻く姿を見たことがある人もいるんじゃないかな。


で、そんな状況下で、弁護士が検察官より軽い刑を要求する。それが報道された後の2chニュー速が目に浮ぶ。


依頼人の不利になるようなことはできないけど、そうすると社会(の一部)から猛烈なバッシングを受けかねず、注目を浴びるような事件の場合は全国から批判の手紙が届いて自分を弁護しなきゃならなくなる、と。
この「二重の量刑相場」問題については、法学部を出た人間なら「罪刑均衡原則」なんかを持ち出して説明できるんだけど、それを聞いたオジさんがすんなり納得してくれるなんてことは無いわけです。
たとえ理性的には納得してもらえたとしても、感情的な反発なんかが裁判官への不信(この、世間知らずめ!)となるだろう。そういうものが、今回の裁判員制度の導入なんかへと繋がったと考えるならば、軽い量刑を唱えて社会の反感を買う「弁護士業」は、将来的にはたして無傷でいられるんだろうか。


悲観的すぎる見通しかもしれず、裁判員の考察の材料を提供するという趣旨自体には別に反対ではないわけです。そういうわけで、この案件は生暖かく見守らせてもらいますが、うーん、どうなるものやら。

*1:※ただし、日弁連の「弁護士職務規定」の第46条には、被告人の利益を擁護するため最善を尽くせ、とありますね。http://www.nichibenren.or.jp/ja/jfba_info/rules/index.html